【1】36歳で夫と死別し、4人の子供を抱えたシングルマザーになった

 4人の子供を抱えたシングルマザーになった私

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2002年の秋、まだ夏の暑さが厳しい頃、私は36歳にして、子供4人を抱えた未亡人になりました。当時夫は42歳。9月の誕生日を迎えた直後に病院のベッドから旅立ってしまいました。

子供たちは当時、上から小学校6年生、4年生、1年生、そして保育園の年中組。男男女女という構成です。私は大学を出てから一度転職した会社で働き続けており、いわゆる共働きのワーキングマザーでした。が、社員100名ほどの中小出版社での給料は300万足らず、月給は手取りで20万前後でした。

つまり、夫との共働きによって子供4人を育てていくという漠然とした人生設計、それが簡単に崩れ去ってしまったわけです。

その頃のことは色々ありすぎて、あまり覚えていないのですが、とにかく、人がひとり死ぬ、ということはこんなに大変なことなんだ、と思った記憶はあります。書類上の手続きが半端なく多い。夫の葬儀と後始末関係でずっしりと重たいクリアファイルを毎日持ち歩き、仕事の合間に区役所や司法書士事務所回りをしていました。いや、区役所や司法書士事務所に行く合間に会社や保育園に立ち寄っていた、というほうが正確かもしれません。

よく、身内が亡くなってしばらくはあまりにも忙しく、悲しむ暇などないといいます。後からどーんと落ち込むという話もよく耳にします。私はこの「あとからどーんと落ち込む」という精神状態になりたくない!と強く思っていました。私一人ならよいのですが、子供が4人もいて、その子たちを食べさせていかなくてはなりません。たぶん、そのためには「ずーっと忙しく悲しむ暇などない」状態を作っておくのがよいのだろうと考えていました。

お葬式や遺産相続などの手続き等、一通りのことがすんだある日、私は思いました。

「そうだ、アメリカに行こう」

 母子でアメリカへの留学!?リスクは?

いやいや、ちょっと待て。それはいくらなんでも作りすぎじゃない?「そうだ、京都に行こう」的な、そんな軽いノリだったはずはないんじゃない?と思われても仕方ないのですが、実際そんなノリで、深く考えたわけではありませんでした。

しかし、どんなリスクがあるのか、これについては多少考えました。この段階では、異国の地で暮らすということは自分にとっては雲をつかむような話だったので、自分の経験値からの想像しかできませんでしたが、たとえば、

・英語が下手で授業についていけないかもしれない

・子供が順応できないかもしれない

・お金が足りなくなるかもしれない

・もう若くない(今にして思えば十分若いですが!)

・帰国して再就職口があるとは限らない

など、留学して得るものより失うものの方が大きいかもしれない、とはちょっぴり思いました。

 しかし、結局は子連れで留学することを決意した。これには、今から思うと、大きく3つの伏線がありました。

留学の背中を押してくれたのは 韓国人のママ友

第一の伏線は、私には当時仲良しの韓国人のママ友がいたということです。

この友人は、最初の子を産んだ時、育児休暇中に公園で知り合ったママ友でした。

最初の出産後の公園デビューって、誰でも不安ですよね。私は日本人のお母さんたちの輪に入るのが少々苦手でした。相手のステイタスをあらゆる方向から探りながら会話を進めるのが超めんどうでした。子供を人形かぬいぐるみよろしく抱っこして、相手のママとばぶばぶ会話をする。めんどくせーなあと思いながら、ふと視線を遠くにやった先に、その韓国人の彼女がいました。娘と2人で遊んでいるところでした。なんとなく目があって、なんとなく話を始めたら、なんだか気が合いそうだと思いました。〇〇ちゃんのお母さんという肩書ではない自分自身として付き合えそうな人だなと思ったのです。

彼女はソウルでは小学校の先生をしていましたが、日本に留学して日本人と結婚しそのまま日本に住んでいる人でした。

赤ん坊の世話だけでは物足りなかった私は、彼女に韓国語を習うことにしました。習っているうちに結構話せるようになりました。あの頃は今の英語(TOEIC920程度)よりはるかに流暢に話せていた記憶がありますが、言語というのはどんな言葉でも使わなければ忘れてしまいます。すっかり忘れてしまいました。今では挨拶程度しかできません。

アメリカに行けば子供の英語が身に着く?

話がそれました。

伏線1の話でした。

韓国人に限らず、私がその後仲良くさせてもらった台湾や中国、様々な国のお母さんたちは、たいてい親戚が何人かは移民をしています。その行先はカナダやオーストラリアなどです。

彼女たちだって、祖国を離れて日本という外国に移り住んできた人たちです。

つまり、日本人と比べると、海を渡るフットワークが格段に軽いのです。

だから、夫が亡くなってしばらくたったとき、彼女はこともなげにこう言いました。

 「ようこさん、海外にいったらいいんじゃないの?」

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海外に行けば?と彼女は言った

 海外に行ったらいい。なぜなら、子供に英語が身につくから。私自身がどうという発想はなかったように思います。彼女が進めたのは語学留学でした。私自身も大学や大学院に入るなど、どこぞの超優秀なエリートの話、自分とは関係ないとも思っていました。

語学留学にせよ、なんにせよ、海外に行くというオプションを提示され、私は目から鱗状態になりました。預金残高をみたら、私費留学はできそう。夫が亡くなったあと、色々な手続きをしたら、ある程度まとまったお金が口座に振り込まれていたのです。もちろん、若くして亡くなったし、保険もかけてなかったし、今から思うと、10年で煙のごとく消えてしまうような金額です。4人の子供の学費がなんとか捻出できるかどうか、ぐらいのお金でした。しかし、若いということは恐ろしいものです。そのお金を運用して増やそうとか、不動産を買おうなど、微塵も思わなかったのです。私費留学できる!あとは4人の子供を実際に連れていくのが現実的かどうか。私は調べてみることにしました。

これが第一の伏線です。

 

第二の伏線は、私が当時働いていた会社の仕事に関係があります。その話はまた次回。

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